自分探しのその先に…

山手線の中吊り広告。
ゲド戦記のゲドの言葉として、


『自分探しの旅といっても、
  自分は自分の直ぐそば、
   自分の中にあるのではないか』


そんな風に書いてあった。



サラリーマンNEOのネタではないが、
確かに自分探しといいながら、ただ旅行するだけだったり、
呑んだくれてたり、我を忘れて遊んだりする人が多い気がする。


これでは、自分探しの旅をした事にはならず、
現実逃避をしているだけに過ぎない。



理由や結果はそれぞれだろうが、人は自分探しの旅をする。
そもそも『自分探しの旅』とは、なんなのか?


それ以前に『何故、人は自分探しの旅をするのか?』


それは
『今の自分に納得がいっていないから』
表面上の理由は多々あれど、根本はここであろう。



しかし、当たり前だが旅に出て何かを探したからといって、
自分が見つかる訳ではない。


中吊り広告のゲドの言うとおり、自分は自分の中にしかないし、
自分は自分にしか解らないのだ。



では『自分探しの旅とは何なのか?』


それは、
『今の自分を見つめ直し、理想とする自分はどんな姿なのかを考える』
つまり、ある種のアイデンティティを求めていると言えないだろうか。


前にもアイデンティティの話として書いたが、
『今自分が立っている位置と、未来の自分の目標とする位置』
これを明確にして意識する事が、自分探しの旅だ。



ただし、ここで一つ気をつけなければいけない事がある。
自分探しの旅は、脳内で完結させてはいけないという事だ。


日記でもなんでも良いから、
『自分の言葉で、しっかり書き記すこと』
これをしないと、消化不良を起こし中途半端になってしまう。
人に見せる見せないは関係ないが、
見せた方が自分へのプレッシャーと自尊心の向上にもなる。


なぜ言葉で書く必要性があるのか?


それは不安定で不完全な人間は、感情によって思考が変化するから、
脳内で思考するだけでは、どうしても楽な方に流れてしまうし、
書く事によって、考えは整理されるものだ。


更に、後で書いた物を自分で見て、
PDCAを繰り返す事もまた重要なのだ。


思ったことを『言葉』として書いてから、更に脳内で思考する。
この順序を決して逆にしてはいけない。




自分探しのその先にあるもの。


それは、自分でしか探せないし、自分でしか解らない。
だからこそ自分探しをする価値があるのだ。